【納棺師の実話】第2章


感謝が疑いに変わった日 出張最終日に突きつけられた言葉

 

出張で重ねた納棺の先にあった違和感

岐阜県への一か月の出張。
納棺協会に所属していた私は、現地の大手葬儀社からの依頼を受け、連日納棺の現場に立っていた。

件数は多すぎて覚えていないが、そのうちの八割近くのご家族から寸志をいただいた。
私自身、どの現場でもこの方は自分の母だ、父だという思いで手を合わせていた。

だからこそ、その感謝が寸志という形になったとき、私は純粋にありがたいと思っていた。
お金ではない。気持ちを手渡されたのだと感じていた。

最終日、報告の電話で知らされた疑い

出張の最終日、私はいつものように本社の事務所に電話をし、全現場の終了報告と翌日以降の確認を行った。
そのときだった。電話口の事務員が、支店長と変わわる。お疲れ様と…少し言いづらそうに話し出した。

現地の葬儀社から、遺族に寸志をオネダリしているという声があったと聞かされた。

一瞬、息が詰まった。

何も言えなかった。

現場では一切、そんな指摘はなかった

その出張期間中、私は一度も現場でそんなことを言われたことがなかった。
注意も指摘もなく、依頼は淡々と続き、私は真面目に、誠実に現場に入っていた。

誰も、何も言わなかった。

なのに、知らないところでそんな話が出ていた。
その事実に、私は深く傷ついた。

寸志の件数と、記憶に残る金額

何件いただいたのかは、正直もう覚えていない。
ただ一つだけ、今でもはっきりと覚えていることがある。

それは、出張期間中にいただいた寸志の総額が、当時の自分の月給を上回っていたということだ。

もちろん、金額の大小が大切なのではない。
それほどまでに感謝を受け取ったという実感と、それがすべて疑いにすり替わって返ってきたという事実が、何よりも苦しかった。

誰にも言えず、レオパレスの一室で一人考えた

その夜、私は岐阜のレオパレス21の部屋に戻った。
部屋は静まり返っていて、外の気配も感じない。

スマホを持って、ただぼんやりと考えていた。
やっと全て終わったのに、最後にこれか。
泣くでも怒るでもなく、ただ笑うしかなかった。

心の底に、ぽっかりと穴が空いた気がした。

感謝は、時に疑いへと変わる

私は、オネダリなど一度もしていない。
むしろ、いただいたことにさえ慎重で、常に自分の姿勢を見つめ直しながら現場に立っていた。

だが、それでも疑われるのだと知った。

感謝は、誤解される。
信頼は、壊れることがある。
それが現実だった。

それでも、信じたかったもの

それでも、私の心には残っていた。
娘さんのあの言葉
母が若返ったみたいです

手を握って、涙を流してくれた遺族の姿
寸志を渡すときの、あの震える手

私はあの場で、本当に必要とされていた。
そう信じている。

次章へ

出張を終えた私は、予定通り退職を決意した。
それは誤解が理由ではない。
入社したときから、自分で決めていたことだった。

次章では、なぜ私は一年で納棺協会を辞めたのか、
その決断の背景を記していきたい。

▶ 第三章 一年という期限を自分で決めていた

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