【納棺師の実話】第8章

その日、母が若返ったと言われた納棺の記憶
魂に触れた時間が、すべての原点になった
初めて一人で任された納棺の現場
岐阜出張の初日、私は納棺協会に在籍して間もない頃だった
その日、現地で初めて一人で任された現場があった
緊張と責任感が重くのしかかる中
私はただ一つの思いでその現場に向かった
この人は、自分の母だと思って納棺しよう
そう決めていた
亡き母に再会したようです
納棺を終えたとき、遺族が静かに集まり始めた
その中で、娘さんがふとつぶやいた
母が、若返ったみたいです
昔の母に戻ったような気がします
その言葉を聞いた瞬間、私は体の奥で何かが震えた
きれいに整えられた顔ではなく
そこに映ったのは、記憶の中にいる母だったのだとわかった
あの一言には、ただの感謝ではなく
愛と再会と癒しが混ざっていた
整えたのは「顔」ではなかった
私はその時はっきりと知った
私が整えたのは、顔ではない
故人と家族の関係だった
記憶にある母と、亡くなった母がひとつに重なる
その時間こそが、遺された人の「魂の整理」だったのだと
納棺とは、命の終わりを整えることではない
命に関わってきた人たちの感情に、静かに触れることなのだと思った
忘れられなかった理由
私は、あの家族からいただいた寸志も
かけられた言葉も、すべて今も忘れられない
金額でも形式でもない
感情が届いたという確かな感覚がそこにあったからだ
納棺師として生きていく中で
何度も迷いや揺らぎがあった
けれどそのたびに、あの現場の空気を思い出した
自分は、こういう時間を届けるためにこの仕事をしているのだと
魂が触れ合った時間だった
家族の誰かにとって
あの一日が、忘れられない日になることがある
私にとっても、あの納棺は、人生の指針になった
魂に触れた
あの時間に触れた
そう確信できた出来事だった
だから私は、今も手を抜かない
どれだけ多くの現場をこなしても
あの一件の重さを超えることはない
あれが、すべての始まりだった
だから今も、誰であっても
自分の母だと思って
心を込めて手を添えている
いつかまた、あの日のように
家族の誰かがこう言ってくれるかもしれない
母が若返ったようでした
その言葉を、今も私は胸に抱いている
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次回は、この仕事が必要とされる理由
なぜ今、喜怒哀楽の家族葬が求められているのかを語りたい

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