【納棺師の実話】第9章

なぜ、今この葬儀が必要なのか
形式ではなく感情に向き合う時代へ
納棺師として見てきた違和感
長年、葬儀の現場に立ってきて感じていたことがある
どんなに形式を整えても
どんなに立派な演出があっても
肝心の「心」が置き去りになっていることが、あまりにも多かった
悲しいのに泣けない
言いたいのに言えない
感謝も、後悔も、怒りも、口を閉ざしたまま時間だけが過ぎていく
そうした葬儀のあり方に、私はずっと疑問を抱いていた
家族が語り合う時間がない
打ち合わせでは、段取りと手配の話がほとんど
葬儀そのものは、静かに、滞りなく進められることが良しとされる
でも、終わったあとに遺族が残す言葉は、決まって同じだった
何も言えなかった
何も残っていない
ありがとうが宙に浮いたままだ
そう言われたとき、私は思った
もっと感情に向き合える葬儀が必要だ
形式ではなく、本音と向き合える時間が求められているのだと
喜怒哀楽を受け入れる葬儀
だからこそ、私は『喜怒哀楽の家族葬®』というかたちを打ち出した
泣いてもいい
笑ってもいい
怒ってもいい
黙っていても、構わない
出てくる感情は人それぞれで、正解なんてひとつもない
それでも、そのままの気持ちを置いていける場所をつくりたかった
葬儀という時間が、家族にとって
ただの儀式ではなく、感情の節目になってほしかった
時代が変わってきた
最近では、従来の葬儀に違和感を持つ人が少しずつ増えている
かつては当たり前だった形式や儀礼を、
今はもっと自分らしくしたい、意味のある時間にしたいという声が増えている
それは、ただの「簡略化」ではなく
「本音に戻ろう」という感覚なのだと私は捉えている
価格やプランではなく、
自分たちの想いをちゃんと伝えられるかどうか
そこに価値を置く人が、確実に増えてきた
葬儀とは、人生の集約ではなく、再出発の問い
私がこの仕事を通して確信しているのは
葬儀は終わりではなく、「問いのはじまり」だということ
あの人をどう送りたかったのか
本当に言いたかった言葉は何か
自分はこれから、どう生きていくのか
その問いを持てたとき
葬儀は、ただの儀式から、人生を見つめる時間へと変わる
だから今、この葬儀が必要とされている
世の中が揺れている今こそ
人のつながりが見えにくくなった今こそ
本当の意味で、心と向き合える葬儀が求められている
喜怒哀楽のすべてを、正直に出せる時間
それが、人生にとってどれほど大切か
私はこの仕事を通して何度も見てきた
そしてこれからも、それを届けていきたいと思っている
次章へ
次回は、実際に寄せられたご家族の声を通じて
この葬儀が、遺族にどんな意味を残したのかを記していく

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