第4章│ゼロから始めた 誰も頼れない道を自分で切り拓いた


ゼロから始めた 誰も頼れない道を自分で切り拓いた

納棺協会を退職 だが何も始まらなかった

予定通り、1年で納棺協会を退職した。
出し切った、という手応えがあった。
ただ、そこからすぐに道が開けたわけではない。

葬儀社に何社も面接に行ったが、どこも自分に合わなかった。
理念が違う、空気が違う。
「ここでは働きたくない」という感覚だけが残った。

私は完全に一人になった。
何の肩書も、依頼も、仲間もいなかった。

遺品整理という新しい現場へ

そんなとき、縁あって遺品整理の個人事業に関わるようになった。
葬儀ではなく、その後の現場。
誰にも見られない、誰も触れない部屋の中の記憶を片付ける仕事だった。

使い古された茶碗、誰かと交わしたであろう手紙。
破れかけたアルバム、仏壇の中の乾いた線香。
どれも、人生そのものだった。
けれど、誰にも語られないまま処分されていく。

無言の部屋が教えてくれたこと

その現場で私は思った。
葬儀の前に語られなかったこと。
死の後に誰にも拾われなかった思い。

そうした感情が、部屋に残っている。
形にならなかった気持ちが、静かに沈殿している。

納棺とは、亡くなった人の身体を整えることだけではない。
遺された人の感情を、少しだけ整えて送り出す行為でもあったのだと、
そのことを、無言の部屋が教えてくれた。

弘前へ戻る決意 地元での再出発

数年の転々とした日々を経て、私は実家のある弘前へ戻ることを決めた。
理由は一つではない。
ただ、どこかで自分の納棺を、地元からまた始めたいと思った。

だが、弘前で納棺の仕事を得るには、自分で営業しなければならなかった。
名刺を持ち、葬儀社を一軒一軒回る。
冷たく断られる日もあった。連絡がないまま終わることもあった。

それでも、私はやり続けた。
来るか分からない一件のために、身支度を整え、準備をしていた。

年に1〜2件、それでも真剣に向き合った

最初は、年に一件か二件。
それでも、目の前のその人のために、心を込めて納棺した。

次があるとは限らない。だから、一つ一つが真剣勝負だった。
少しずつ、紹介が増え、信頼がつながっていった。

そして法人化 とーたる・さぽーと0528の誕生

地道な積み重ねの末、私は決断した。
法人化しよう。
自分のやり方で、納棺と供養に向き合える場所をつくろう。

こうして合同会社とーたる・さぽーと0528が誕生した。
葬儀のための会社ではない。
感情のための会社だと、私は思っている。

次章へ

次回は、法人化直後に訪れたコロナ禍の中で、
なぜ私は喜怒哀楽の家族葬という言葉に辿り着いたのかを記していく。

第5章 感情を抑えない葬儀を誰かが始めなければと思った

 

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筆者について

樺澤忠志(とーたる・さぽーと0528代表/納棺師)
弘前市出身。父の死をきっかけに葬祭の道へ。今、感情を封じない「喜怒哀楽の家族葬®」を弘前で提供しています。

最期に「ありがとう」が届く時間を。
それが、私の仕事のすべてです。

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