【公式】続|喜怒哀楽の家族葬®|弘前で後悔しないための心の供養


 

 

 

【公式】喜怒哀楽の家族葬®|弘前で後悔しないための心の供養

監修 喜怒哀楽の家族葬® 樺澤忠志

葬儀は形のことではありません。心の供養をどれだけ丁寧に重ねられるかです。
ここでは理念と実例をまとめました。読み進めることで心が静かに整い 行動の不安が軽くなります。

導入文 心の供養という考え方

人が亡くなるということは、言葉にできないほどの悲しみを伴います。
しかし、葬儀の本質は悲しみを形にすることではなく、心を整えることにあります。
私たちは日々の中で、形にとらわれ、流れの中で儀式として葬儀を行うことに慣れてしまいました。
けれども、本来葬儀は故人を想うと同時に、残された家族が自らの心を見つめ、心の供養を行うための時間であるはずです。

時代とともに、葬儀の形は変わりました。
直葬という形が増え、通夜も告別式も行わず火葬だけで終える人も少なくありません。
それは決して悪いことではありませんが、その後に残るのは、「本当にこれで良かったのだろうか」という心の声です。
私たちは、その声の重さを現場で何度も見てきました。

葬儀のあり方を変えるということは、見送り方の形を変えることではなく、心の向き合い方を変えることだと私は思っています。
亡くなった人を送るという行為の中に、残された人が自分自身の想いと向き合う時間を持てるかどうか。
それが、心の供養の原点です。

私たちの『喜怒哀楽の家族葬®』は、形式ではなく心に重きを置いた葬儀です。
喜び、怒り、哀しみ、そして楽しさ。人が人生で抱いたすべての感情を、偽ることなく表現しながら送る。
それが、故人にとっても、残された家族にとっても、最も自然でやさしい見送りの形なのです。

葬儀とは、心の供養である。
その原点を弘前の地から伝えていきたいと、私は願っています。

第一章 供養は「故人のため」だけではない

多くの人が、葬儀や供養というものを「亡くなった人のために行うもの」と考えています。
もちろんそれも正しいのですが、本当の供養とは、残された人のためのものでもあるのです。

亡くなった人を想う気持ちは、時間が経っても消えることはありません。
しかしその想いをどう整理していくかを考えることは、誰にとっても難しいことです。
そのため、葬儀を終えたあとに心の整理がつかず、「もっとできたのではないか」「あのとき言えば良かった」という思いが残ってしまうことがあります。

私たちはこれまで、そうした方々の声を数え切れないほど聞いてきました。
「母の望みを叶えたつもりだったけれど、どこか納得できない」
「父が静かに旅立てたのは良かったが、自分の心がついていかない」
そうした言葉の中にあるのは、悲しみよりもむしろ、心が置き去りにされたような感覚なのです。

供養とは、祈りや儀式だけでなく、心の整理をつけるための行為でもあります。
故人を思いながら、自分の心を見つめる。
その過程にこそ、供養の本当の意味があります。

『喜怒哀楽の家族葬®』では、残された家族の心を最も大切にしています。
亡くなった人への感謝や後悔、悲しみや安らぎ。そのすべてを無理に抑え込まず、自然に表していくこと。
それが、本当の意味での「供養」につながるのです。

故人にとっての供養があるように、遺族にも供養がある。
それは、心の中で「ありがとう」と言えるまでの時間。
その時間を、焦らず、比べず、静かに過ごしてほしいと願っています。

第二章 喜怒哀楽の家族葬の意味

『喜怒哀楽の家族葬®』という言葉を初めて聞く方は、「少し変わった葬儀なのだろうか」と思われるかもしれません。
けれども、実際にはとても自然な形なのです。
人の一生には、喜び、怒り、哀しみ、楽しさがあります。
それらを偽らず、正直に表現できる場こそが、心からの供養になると私たちは考えています。

多くの葬儀では「悲しみの時間」として、静かに涙を流すことが中心になります。
しかし、人が亡くなったという現実を受け入れるためには、悲しみだけではなく、あらゆる感情を経ていくことが必要です。
その感情を押し殺してしまうと、後になって心の中で形を変えてしまうことがあります。

『喜怒哀楽の家族葬®』では、涙の中にも笑いがあり、悲しみの中にも優しさがある。
故人の人生を振り返る中で、家族が自然に笑顔を見せる瞬間もあります。
その笑顔こそが、心の整理のはじまりです。

私たちは、喜怒哀楽のすべてを大切にしています。
どんな感情も故人と共に過ごした証です。
それを一つひとつ受け止め、最後に「ありがとう」と心から言えるように導く。
そのために生まれたのが、『喜怒哀楽の家族葬®』なのです。

形式や豪華さではなく、心の深さで送る葬儀。
故人を想い、家族が心を通わせることで、初めて本当の供養が完成します。
それがこの葬儀の原点であり、弘前の地で生まれた理由でもあります。

第三章 納棺の祈りと癒やし

納棺の時間は、故人と家族が最後に心を通わせる瞬間です。
そこには言葉を超えた静けさと、深い祈りがあります。
それは単なる儀式ではなく、心と心を結ぶ癒やしの時間なのです。

私たちはこの時間を、何よりも大切にしています。
故人の手に触れ、衣を整え、花を添える。
その一つひとつの所作には、「ありがとう」という想いが込められています。
そして、その手の動きそのものが祈りとなり、家族の心を静かに整えていくのです。

『喜怒哀楽の家族葬®』では、納棺を「閉じる儀式」ではなく「心を整える時間」として捉えています。
手を合わせながら、これまでの感謝とこれからの願いを込めて見送る。
その行為の中で、人は悲しみから少しずつ前を向く力を得ていきます。

どんなに立派な言葉よりも、静かに花を置くその手のぬくもりが、故人への最高の供養になる。
納棺とは、故人の旅立ちを支えるだけでなく、遺族自身の心を癒やす祈りでもあるのです。

形式的に終わらせる葬儀ではなく、ひとつの所作に意味があり、心が動く時間。
それが、本当の意味での「見送り」であり、「供養」なのだと私たちは信じています。

第四章 旅立つ人と送る人の心

人が亡くなるとき、そこには必ず「送る人」と「送られる人」がいます。
そしてその関係には、最後の瞬間まで続く心のつながりがあります。

故人の希望を尊重することは大切です。
しかし、送る側の心にも整理すべき想いがあります。
直葬を選ばれたご家族の中には、「本人が望んだから」と言いながらも、
後になって「もっとできたのではないか」という後悔を抱える方が少なくありません。

故人の意思を大切にすることと、残された家族が納得して見送ること。
この二つのバランスを取ることこそが、供養の本質です。
『喜怒哀楽の家族葬®』では、故人の想いを守りながら、送る側の心を整える時間を大切にしています。

旅立つ人の希望を叶えるためだけではなく、見送る人の心が癒やされるための葬儀。
その両方が満たされたとき、葬儀は初めて「美しい別れ」となるのです。

送る人の涙も、微笑みも、言葉にならない想いも、すべてが祈りです。
故人が望んだ「静かな旅立ち」の中にも、残された家族の想いは確かに生きています。
その想いを大切に包み込み、誰も責めず、誰も我慢しない見送りを行う。
それが、私たちが弘前の地で守り続けてきた葬儀の姿です。

旅立つ人の想いと、送る人の心。
どちらか一方ではなく、その両方を大切にすること。
それが、心の供養の本当の意味であり、『喜怒哀楽の家族葬®』が生まれた理由なのです。

第五章 二重の癒やしと後悔の解消

人は大切な人を失ったとき、深い悲しみの中にいます。
その中で、心の奥には「もう少し何かできたのではないか」という思いが生まれます。
それは後悔のようでいて、実は愛情の証でもあります。

『喜怒哀楽の家族葬®』では、この感情を抑え込むことをしません。
むしろ、怒り、哀しみ、楽しさ、喜びという四つの感情を、一つずつ丁寧に癒やしていくことを大切にしています。
人の心は、怒から哀へ、そして楽、喜へと流れていくことで、自然に整理されていきます。

例えば、「どうしてあのとき…」というの感情を言葉にしたあと、
涙を流すことで哀しみが浄化され、やがて思い出を語り合う楽しさが生まれます。
そして最後に「ありがとう」と言える喜びが訪れる。
この流れを経て、人はようやく心から故人を送り出せるのです。

この過程には、二つの癒やしがあります。
一つは、故人の魂が安らかに旅立つ癒やし。
もう一つは、残された人の心が整う癒やしです。
この二つが重なったとき、葬儀は「悲しみの終わり」ではなく、心の再生のはじまりになります。

形だけの儀式では、心は整理されません。
大切なのは、感情に正直であること。
涙も怒りも、語ることも、すべてが供養です。
それを包み込みながら、少しずつ心を軽くしていく。
その時間を通してこそ、後悔のない見送りが叶うのです。

私たちは、この二重の癒やしを葬儀の中心に置いています。
それは、悲しみを否定するのではなく、悲しみの中にある光を見つけること。
故人を想いながら、自分自身も癒やされていく。
それが、心の供養の本当の形なのです。

第六章 体験談 涙のあとに生まれた安らぎ

これまで多くのご家族を見送ってきました。
その中には、最初は迷いながらも『喜怒哀楽の家族葬®』を選ばれた方がたくさんいます。
そして皆さんが口を揃えて言うのは、「やって良かった」という言葉です。

弘前市でお母様を見送られたご家族は、最初「静かに済ませたい」と話していました。
しかし、納棺のときに花を手向けながら自然と涙が溢れ、家族全員が声を上げて泣きました。
そのあと、思い出話をしながら笑顔が生まれた瞬間、「これが母らしい見送りだね」と語り合っていました。

また、別のご家族では「父が照れ屋だったから葬儀は簡単でいい」とお話しされていましたが、
実際に葬儀を終えたあとにこうおっしゃいました。
「形式ではなく、心を大切にしてくれて本当にありがたかった。
父の笑顔が見えるようで、悲しいけれど安心できました。」

このような声を聞くたびに、私たちは確信します。
人は、誰かを送りながら自分の心を整えているのだということを。
泣くことも、笑うことも、語ることもすべてが心の供養であり、
その時間の中で、悲しみが安らぎへと変わっていくのです。

『喜怒哀楽の家族葬®』は、葬儀という限られた時間の中で、心が癒やされていく過程を丁寧に支える葬儀です。
涙のあとに必ず訪れる穏やかな笑顔。
それこそが、供養の本質であり、残された人への最大の贈り物だと私たちは思っています。

涙のあとに生まれる安らぎ。
その瞬間に立ち会えることが、私たちの仕事の中で最も尊いことなのです。

第七章 この癒やしを知らなかったら

人は大切な人を亡くしたとき、誰もが「後悔したくない」と思います。
けれども、現実には多くの方が葬儀のあとで「これで良かったのか」と心に迷いを抱えています。
それは、心の整理が追いつかないまま時間だけが過ぎてしまうからです。

もし、怒 哀 楽 喜という心の流れを知らずに終わってしまったら、
人はどこかで立ち止まり、前に進めなくなってしまいます。
形としての供養は済んでいても、心の供養が終わっていない。
その違和感が、長い時間をかけて心に影を落とすことがあります。

『喜怒哀楽の家族葬®』は、その停滞した心をやさしく動かす葬儀です。
涙をこぼしてもいい、怒りを言葉にしてもいい、笑ってもいい。
感情を閉じ込めるのではなく、心を動かすことこそが癒やしのはじまりなのです。

もしこの癒やしを知らずにいたら、
人は「自分を責める」という苦しみの中に留まってしまうかもしれません。
それは決して間違いではありませんが、心の痛みを一人で抱える必要はないのです。

弘前の地で、私たちはたくさんのご家族の心に寄り添ってきました。
どんなに悲しい別れでも、心の向き合い方次第で、
その悲しみは「ありがとう」という言葉に変わることを知っています。

この癒やしを知ることで、人はもう一度やさしくなれる。
それが、『喜怒哀楽の家族葬®』が伝えたい真実です。

第八章 弘前という土地の祈り

弘前という土地には、長い年月の中で育まれた静けさとやさしさがあります。
冬は厳しく、雪に包まれる季節が長い。
けれどもその分だけ、人の温もりが深く、思いやりの心が自然に根づいています。

私たちは、この弘前の空気の中で多くのご家族を見送ってきました。
そして感じるのは、どんなに小さな葬儀でも、そこには必ず祈りの光があるということです。
それは豪華な式ではなく、静かな部屋の中で家族が手を合わせる光景。
そのひとときに、人と人との深いつながりを見るのです。

『喜怒哀楽の家族葬®』が弘前で生まれたのは偶然ではありません。
この土地の人々が持つやさしさ、自然と共にある生き方、
そして「派手ではなくても心を込める」という文化が、心の供養という考え方と結びついたのです。

雪が解けて春が訪れるように、
人の心も時間をかけて癒やされていきます。
その過程を焦らずに見守るのが、私たちの役目です。

弘前の風のように静かであたたかい祈り。
それがこの地の葬儀の本質であり、
『喜怒哀楽の家族葬®』が大切にしている心の循環なのです。

補章 葬儀後の心の伴走

葬儀が終わると、多くの方が「やっと終わった」と感じます。
けれども、そこから本当の心の整理が始まります。
日常に戻ろうとしても、ふとした瞬間に涙が出たり、心が空っぽになったように感じたりする。
それは自然なことです。

私たちは、葬儀が終わってからの時間こそ大切だと考えています。
その人を想いながら日々を過ごす中で、少しずつ心が整っていく。
しかし、その過程を一人で抱え込んでしまうと、悲しみが形を変えて心に残ってしまうことがあります。

だからこそ、葬儀後にも寄り添い続けることが必要なのです。
相談やお話を通して、心の中にある「もう一度ありがとうを言いたい」という気持ちを形にする。
それが、心の供養を完成させる最後の段階です。

『喜怒哀楽の家族葬®』では、葬儀後のご相談やお話の場を大切にしています。
それは営業でも説明でもなく、ただ心に寄り添うための時間。
お話しするだけで心が軽くなる方もたくさんいらっしゃいます。

供養は、葬儀の日で終わりではありません。
人の心は、語ることで癒やされていく。
その伴走を続けることが、私たちのもう一つの使命なのです。

補章 安心おしゃべり会

人は、誰かに話すことで心を整理できます。
それは特別な相談ではなくてもよく、ただ「聞いてもらえる」というだけで心が軽くなることがあります。

『安心おしゃべり会』は、そんな思いから始めました。
葬儀の準備や心の整理について、気兼ねなく話せる小さな時間。
営業でも説明会でもなく、心を整えるための場です。

泣いてもかまいません。
笑ってもかまいません。
話すことで心の奥にある想いが動き、少しずつ癒やされていく。
その時間を通して、人は自分自身の心の供養を進めているのです。

これまでにも、参加された方々から
「話せてよかった」「こんなに楽になると思わなかった」という声を多くいただいています。
それは、心が「聴いてもらえた」と感じたからです。

弘前市内はもちろん、津軽エリアの方もご参加いただけます。
会場はとーたる・さぽーと0528、またはご自宅への訪問、自宅訪問でも対応しています。
費用はかかりません。

どんな小さな不安でもかまいません。
話すことで、心が整理されていく。
それが、心の供養の第一歩になるのです。

ご相談・お問い合わせのご案内

葬儀は、形を整えることではなく、心を整える時間です。
その準備や迷いの中で、不安を抱える方が多くいらっしゃいます。
一人で悩まなくても大丈夫です。

私たちは、弘前・津軽エリアで心の供養を大切にした家族葬を行っています。
ご家族の想いに寄り添いながら、悲しみの中にもやさしい光を見出せるようお手伝いしています。

ご相談だけでもかまいません。
お電話やLINE、メールでのご連絡もお受けしております。
ご自宅やとーたる・さぽーと0528(会社)でのご相談にも対応しています。

どうぞ、安心してお話しください。
その一言から、心の供養が始まります。

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