スピリチュアルと弘前市のとーたる・さぽーと0528での葬儀(お葬式・家族葬)
スピリチュアルと弘前市のとーたる・さぽーと0528での葬儀(お葬式・家族葬)

当社での葬儀を行う際に目に見えない力を利用しています。
これは言っておきます。信じないで結構です。
これを発表することは、以前から天の声により発信せよと指令があったが行動に移さず無視してきましたが、今回はもう二週間頭から離れずにいた。
また、お風呂でリラックスしているのに・・・
またこんなことしか考えられなくなり、今回は風呂上がりで書いている。
このお話は、別に信じなくても結構です。
当社で葬儀を行う際には、スピリチュアル的能力を多少使用し霊供養を目的として力を使っています。
まず、簡単に私自身の説明を致します。
スピリチュアルの弟子入り時代
樺澤忠志は、ある時をきっかけに能力者の弟子入りし、数年間修行に励み京都の宇治別格本山に霊能開発のためだけの為に入山。
入山したが一般の同期の方には何も言わず、先生より言われたことをコツコツと行うことを徹底的に教え込まれた。
それが自分の罪穢れ落としと、能力開発らしいです。
しかし、途中で込みあがって来た強い感情は先生が思っているものとは別物でした。
数週間悩んで出した結果。
弟子入りの解除でした。
これはお導きがあったのです。
最も強い力で誘導された感じでした。
宇治別格本山の下山も少しやりたい事を暫くやり切って下山をさせていただきました。
私のご先祖様の為だけの先祖供養を徹底させていただきました。
勉強の空き時間以外は先祖供養に時間を当てて日々暮らしており、あとは自分の周りの方のために全力で働くということ決めた。
省略
結果、帰って葬儀を通して人のために全力で施したいと思うようになりました。
納棺師時代
しばらく、関西の葬儀関係の仕事にと思い探し始めたところ家族から映画『おくりびと』の会社はどう?と言われ詳細を調べ始めた。
履歴書を書き、早速ポスト投函し後日電話が鳴った。
面接日が決まり、当日伺いました。
とんとん拍子に入社が決まり、納棺師としての修行が始まった。
なぜか他の同期の人とは別行動最初から支店長の現場や単独行動が多かったが、お陰様で普通以上に本番をすることができ、うれしい限りです。
どんどん技術が上がり、能力が上がり、やがて9割ほど支店長とのペアとなり、現場ではいつの間にか支店長はいません。
現場は私一人となり、困っても何があっても自分でどうにかしないといけない空間が当たり前となっていました。
技能が上がり、手が勝手に動くようになってから私はさらに変わっていった。
行く先々の現場から強烈に褒められ、喜ばれ相手先の葬儀担当さんに怒られるようになった事を覚えています。
メインの葬儀ディレクターさんよりもご遺族は私に感謝しているから葬儀担当さんの立場がない事が随分経ってからわかりました。
やり過ぎた自分が悪いのか。それとも私以上のものが提案出来ない葬儀社の担当さんの能力が悪いのか。しばらく葛藤があったが、結局、私にとってどうでもよいことがわかった。
なので、私は私の最善を提供することを決めたら。
そこから爆発・・・
お客様からの喜びの声と行く先の葬儀社からの嫉妬クレームの嵐・・・
最終的に私が勤めていた会社にも電話が掛かってきてチップをおねだりしているとか・・・
私の勤めている会社役員に呼ばれ話を聞かれたが、当時私は全力の何が悪いのか理解できず、無視し、ご遺族の為だけに努めていました。もちろんチップのおねだりなんでできようがない・・・おねだりしていただけるもの? そのおねだり方法も知らない・・・
しばらくすると、以前担当になっている方がたまたま私の納棺と一緒になって行うことになっていたのをわかったので、先日は申し訳ございませんでした。と謝罪し、葬儀社の担当さんはご遺族の方は大変喜んでおりました。以前も葬儀をしたご家族なのですが以前の納棺師とは別物でした。と感謝の声しかないと言われたらしいです。
その後、その葬儀会社は私に対する接し方が変わりうれしかった事を覚えています。もっと言うと私を理解していて感謝しています。
言葉が適切ではないがわかりやすく伝えると霊供養的能力を使って納棺をしていることがわかりました。
連続で下請け納棺会社の支店まで届くほどの内容。最初は疑われていた納棺師が葬儀会社が私を指名してくるほどになった。
無意識に力を出して供養をしていることがこんなにも素晴らしいものと自分でも感動するものでした。
この時はまだ、能力を操作することはできませんでした。
しかし、幾度と納棺の現場をしていくに連れて徐々に霊的能力と霊的操作を少しずつ向上していきました。
私にとって霊能の先生は基本的にはおりませんが、私が決めた道は育っています。
それで納棺師からの葬儀へと転身し今に至っています。
荒い私の人生説明ですが事実です。(一部)
過去の実績と能力開発とがまじって葬儀とは何か自問自答するようになり、作っていただいた祭壇や供養とは何か疑問を持ち始める。
しばらくわからなかったが、半年後高級祭壇で一円の供養にもならないと夢なのか何なのかは今もよくわからないが、自分の中では理解ができたので、私は当社を利用しようとしている方々に言い続けている。
供養ということ
人それぞれはありますが、供養とは、何か考えるべきです。
自分にとって供養とは、どういうものなのかしっかり考えていただければ先祖供養とは何か。家運とは何か。自ずとお分かりになるのかも知れません。
当社では、葬儀とは先祖供養であり、家運であり、開運と観ております。
人生の成功者は自分の魂を向上させているとどこかで聞いたことがあります。
自分のためにただ働くのではなく魂レベルで他の大勢の魂のために働くことが全魂の大枠の使命と感じています。
まずは、自分の魂が全宇宙の一つの存在に過ぎないことを理解し、自分の使命を全うすれば自ずと道は開けると感じ取りました。
自分で決断したことは、必ず人生のどこかでドラマが生まれます。
自分が悪いことすれば魂を貶し、借り入れの時が必ず来ます。
自分が他のために施すなら、必ず他愛を受け再生できます。
人生を植物の成長に例えると
種を蒔いて 芽が出て、栄養を天からいただいて成長する。
良いことも悪いことも全て自分が蒔いた種。
必ず清算の時か来ます。その時どんなことを思って感謝や謝罪するのかでこの先々が変わっていくことが人生なのです。人生の選択とはこういうことです。
運の悪い人は
何かしら選択が間違ている。または、感謝していると口では言っているけど心では恨んでいるもしくは、悪口をいつも言っている人。
幸運の人は
感謝をとにかく、口癖のように言っている人です。自分の会う人々に感謝しか言わない人は顔も柔らかいし、空気感も邪気がない。だから、いい人が集まって似た人が集まってよい 気が束になって願いが叶うエネルギーになるのです。
ちょっと葬儀と少しずれましたが、葬儀も色々な選択の多いものです。現象的なことに振り回され死というショックに驚き、何が正しいのかどうしたらよいのか判断が非常に難しくなる時です。
普段の脳の回転は停止状態、何も考えられなくなる。または、耳では聞いているけど頭に入ってこない。話を聞いているけど理解できなかった経験はありませんか。
心が動じているせいで受け入れる機能が停止し放心状態となっています。大切な方の死というものはそういうものです。判断ができなくなります。そこを狙って営業してい来る方もいます。
何事にも怒る必要はないが、余裕を持つことが最善でありも、自分を守ることになります。また、パニック状態に入り込んでくる営業マンもまた、新たに罪汚れをつくらず、間違った人生を選択させるのことなく。
葬儀を行う方や葬儀社も魂を汚すことなく葬儀というものに集中し見送ることができるのではと思っています。
私の説明をいたしました
が、飛んで内容が入ってこない方も多いかもしれません。スピリチュアル的能力の元葬儀を執り行っている葬儀社になっています。
スピリチュアル的に何でも話せるて言うものではありませんが、話せる範囲で皆さんと接して行ければと思っています。
カバサワタダシより
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