弘前家族葬の本質│喜怒哀楽の家族葬で心と魂を整える見送りの在り方

弘前家族葬と喜怒哀楽の家族葬で守りたい最後のわがまま
樺澤忠志が語る葬儀の現実と遺族の思いが形になる送り方
家族葬は小さな規模だから簡単というものではありません。遺族がこの人をしっかり送りたいと願い、その思いが反映されてこそ本来の姿になります。しかし弘前市でも多くの方が、準備の仕方が分からないまま葬儀社に相談し、決まったプランの流れに沿って進められてしまい、後で本当はもっと伝えたかったと感じるケースが少なくありません。葬儀社の多くは効率を優先し、遺族の細かな思いを聞き入れづらい仕組みになっています。
遺族の満足は特別なことをするから生まれるのではなく、家族が担当者に伝えた思いがきちんと形になった時に生まれます。この人をこう送りたいという最後の願いが通ることで、遺族は安心し、任せて良かったと心から思えるのです。私は葬儀は最後のわがままを聞ける場であってほしいと考えています。
弘前家族葬と喜怒哀楽の家族葬の現場で、私は遺体の変化や復元の技術や孤独死の現実や遺品整理の重さや家族の心の揺れなど、さまざまな場面を見てきました。これらは別々の出来事に見えて、実際にはその人らしい送り方を整える大切な要素です。ここでは私 樺澤忠志が葬送の実務の中で感じてきた、葬儀という時間の本当の意味をお伝えしていきます。
第1章 人の感情が動く順番には理由がある
怒から哀へ、そして楽と喜へと移る心の工程
人は感情を自由に動かせるように見えて、実際には必要な位置にとどまりながら少しずつ変化していきます。葬儀の現場にいると、この流れがはっきりと見えることがあります。怒から始まり、哀に移り、楽へ向かい、最後に喜という位置に着地する流れです。この順番は偶然ではなく、樺澤忠志として実務で何度も見てきた心の工程です。
怒の位置にいる人は、その感情を出し切るまで動きません。どれだけ周りがなだめても、怒っている人は怒りの場所にとどまります。哀も同じで、悲しみが十分に満たされるまでは次へ進むことができません。人は感情をごまかすより、その感情を味わい尽くすことで前へ進めるようになります。
怒が落ち着いた時、心は自然と哀に移ります。哀が満ちた時、思い出を語れる楽の位置に移り、最後に喜の位置に着地します。喜の位置に着くと、多くの人は安心し、穏やかな表情を取り戻します。思い出が優しく残るのはこの段階です。
この流れは亡くなった人にも、生きている人にも働いています。怒は反発や否定と結びつき、哀は受け入れる準備につながり、楽は振り返りを支え、喜は心の安定を生み出します。葬儀とは、この心の工程を無理なく進めるための場所でもあります。
家族が気持ちを出せる場をつくることで、その工程は自然に進んでいきます。弘前家族葬や喜怒哀楽の家族葬の現場でも、怒や哀を抑え込む必要はありません。むしろ、感情が出た時こそ、その人が大切なものを持っている証でもあります。
樺澤忠志として大切にしているのは、この工程を整えるための姿勢です。感情は押し付けて動かすものではなく、本人が必要な位置にいる時間を尊重することです。怒も哀も、無理に変える必要はありません。必要なだけそこにいて、満足した時に心は次へと進みます。
この工程が踏まれている葬儀では、家族が最後に喜と安心の位置に着きやすくなります。送りたい気持ちが形になり、心に残る後悔が少なくなるからです。葬儀は儀式であると同時に、心を整える大切な工程でもあります。
第2章 葬儀の現場で見えてくる六つの領域
遺体 技術 社会 心 供養 霊性がつながる時に生まれるもの
葬儀は一つの出来事のように見えて、実際にはいくつもの領域が重なり合っています。私は弘前家族葬や喜怒哀楽の家族葬に関わる中で、この六つの領域を毎日のように行き来しています。遺体の変化や復元の技術や孤独死の現実や遺品整理や家族の心の揺れや供養の意味。それぞれ独立しているように見えて、実務の中では一つの流れとして働きます。
最初の領域は遺体です。亡くなった後の体は変化していきます。温度や色や姿勢が変わり、時間の経過とともに必要な処置も変わっていきます。この変化を理解することは、その人を安心できる形に整えるための基礎になります。
次に技術があります。復元や納棺の技術が整っていなければ、その人らしい姿をつくることはできません。顔を整え、手の位置を整え、服を整えるという行為には、家族が最後に見る姿を守る意味があります。私は葬儀の現場で、多くの家族がその姿にどれだけ救われるかを見てきました。
三つ目は社会です。孤独死や遺品整理は、今の社会が抱えている現実です。誰にも見られずに亡くなる方もいます。部屋が荒れたままの状態で発見される方もいます。そうした現場に入ると、その人がどんな毎日を過ごし、どんな思いで最後の時間を迎えたのかが見えることがあります。社会の背景を知らなければ葬送の仕事は成立しません。
四つ目は心です。怒や哀が動く場面や、家族が戸惑いを抱えたまま座っている場面に出会うことがあります。どんな葬儀であっても、心が動く瞬間があります。私は安心おしゃべり会を続ける中で、生きている人の不安や悩みがどれほど深いかを知りました。この心の理解なしには葬儀の本質は見えてきません。
五つ目は供養です。供養は形だけのものではありません。手を合わせる時、家族の心は少し落ち着きます。故人の顔を見る時、家族の心が次の段階へ進むことがあります。供養は感情の工程を助ける役割を持っています。
最後に霊性があります。私は霊性を誇張しませんが、人が亡くなるという出来事は理屈だけでは説明できない部分があります。静かな余韻や言葉にならない感覚があります。この領域を否定する必要はなく、押しつける必要もありません。ただ、確かに存在しているという事実だけを受け止めています。
六つの領域は別々ではなく、一つの葬儀の中でつながります。遺体を理解し、技術で整え、社会の現実に触れ、家族の心を支え、供養の意味を大切にし、静かな霊性の余韻を感じる。これらがそろった時、その人らしい送り方ができます。
樺澤忠志としてこの六つの領域を行き来しながら葬儀に向き合うことで、家族が安心して最後の時間を過ごせる場をつくることができると感じています。葬儀は一方通行の儀式ではなく、多くの層が重なる場所です。この理解があるかどうかで、送り方の質は大きく変わります。
第3章 復元と納棺の技術が支える最後の姿
弘前市で唯一の復元納棺師としての実務と都会で培った経験
葬儀の中で家族が最後に触れる時間は、故人の姿がどう整えられているかで大きく変わります。顔の表情や手の位置や衣服の整え方は、そのまま家族の記憶になります。私は復元納棺の全国基準資格を取得し、青森県でも数少ない復元納棺師として現場に立ってきました。弘前市でこの技術を扱うのは自分だけであり、復元納棺師の称号を持つのも自分だけです。
復元の技術は知識だけではなく、経験の積み重ねが不可欠です。私は都会で数多くの現場に入り、孤独死や状態が大きく変化した遺体や複雑な環境での処置を経験してきました。都市部では対応の判断が難しい現場も多く、限られた時間の中でどう整えるかを常に考えなければなりませんでした。その経験が今の技術の基礎になっています。
遺体の状態は一つとして同じものはありません。乾燥の進み具合や色の変化や姿勢の違いなどを見て、必要な処置を選びます。復元とは見た目を変える行為ではなく、その人らしさを取り戻すための技術です。目元の調整や口元の緩みの整えや手の位置の調整など、一つひとつが家族の安心につながります。
納棺は単なる作業ではありません。家族が心の中で故人と向き合い、気持ちを整理するための時間です。衣服を選ぶ過程や体を整える場面は、家族が感情を動かす大切な工程でもあります。私はこの時間に、怒 哀 楽 喜の癒し工程を必ず取り入れています。納棺の儀は癒し工程の1回目であり、家族の心を次へ進めるための最初の場面です。
怒の位置にいる家族は、心が落ち着くまで動けません。言葉をかけても受け入れられない時もあります。その位置にとどまる時間を否定せず、無理に次へ進めようとしないことが大切です。哀の位置にいる家族は、涙が止まらないことがあります。納棺の儀の間に、哀が満たされて次へ進む瞬間を見たことが何度もあります。
楽の位置に入ると、家族は思い出を語り始めます。この時、復元された顔を見ることで表情が柔らかくなり、話す内容が変わることがあります。喜の位置に着くと、ほっとした表情を浮かべ、納棺が終わる頃には心が少し軽くなる方もいます。納棺の儀とは、こうした心の動きを助ける大切な工程です。
弘前家族葬や喜怒哀楽の家族葬では、家族が故人の姿を見て安心したと話されることがあります。復元の技術と癒し工程がそろった時、故人と家族の距離がほんの少し縮まり、その後の葬儀全体に良い影響が生まれます。
復元と納棺は家族の心の支えであり、最後の記憶をつくる大きな働きを持っています。弘前市でこの技術を扱う者として、その責任を胸に一つひとつの現場と向き合っていきたいと思っています。
第4章 孤独死の葬儀で揺れる遺族の心
警察からの知らせで始まる後悔と、最初の面談の大切さ
孤独死の葬儀では、遺族の心は深い後悔とともに始まります。警察からの知らせを受けた瞬間に、もっと連絡すれば良かった、もっと会いに行けば良かったという思いが一気に押し寄せます。葬儀の会場で悲しみが始まるわけではありません。この一通の連絡の時点から、心は怒や哀の位置に沈み込んでいきます。
だから私は、ご遺体の引き渡しの後ではなく、警察から連絡が入った直後の最初の面談を大切にしています。遺族の心が最も揺れ、支えを必要としているのはこの時間です。葬儀が本格的に動き始める前に、気持ちに寄り添い、怒や哀の工程を無理なく進められるように向き合うことがとても重要です。
最初の面談では、遺族は言葉にならない不安や後悔を抱えています。私はその気持ちを受け止めた上で、葬儀に向けた最初の問いかけとして、何か渡したい物はありませんかと尋ねるようにしています。棺に入れる物は大きな物でなくて構いません。小さな品でも、短い言葉を書いた紙でも、その人が使っていた日常の物でも良いのです。自分の手で故人に気持ちを添えるという小さな行動が、心の整理のための第一歩になります。
怒 哀 楽 喜の工程の中では、この小さな行動が心の動きを生み出します。物を選ぶという行為によって、怒や哀の位置にあった心がゆっくりと動き始めることがあります。完全に気持ちが整理されるわけではなくても、次の位置へ進むためのきっかけになることがあります。
故人の部屋に残る生きた証と、報告がもたらす心の変化
葬儀の準備が始まり、遺族の心に寄り添った後で、私は孤独死の現場に入ります。特殊清掃と遺品整理を行うためです。故人の部屋には、生きてきた証が静かに残っています。中途のまま置かれた物、使いかけの道具、選ばれた色、配置の癖。その一つひとつに、その人らしさが残っています。
清掃と整理を終えた後、私は遺族にその人がどのように生活していたかを丁寧に報告しています。部屋の状況から読み取れた生活の様子や習慣、残されていた物の意味を伝えることで、遺族は繋がりが完全に途切れていたわけではなかったと感じることがあります。報告を聞くことで心が少し動き、怒や哀の位置にいた気持ちが楽や喜の方向へ向かう場面にも出会ってきました。
孤独死の現場は辛い現実ですが、そこに残された時間や物には、その人が確かに生きていた証があります。葬儀はその証を拾い上げ、遺族の心を次の工程へ進めるための大切な場でもあります。
第5章(その1) 葬儀の前でも後でも、心を受け止める場所が必要になる
安心おしゃべり会が支えている日常の不安とつながり
葬儀の現場で心が揺れるのは当然のことですが、実際にはその前から不安を抱えている人が多くいます。葬儀の準備の段階で迷いや戸惑いがあり、終わった後でも言えなかった気持ちが残ったまま過ごしてしまう方もいます。葬儀だけでは心の整理ができないことは珍しくありません。だからこそ、日常の中で心を受け止める場が必要になります。
私はその思いから、安心おしゃべり会を続けています。この会は葬儀の話だけをする場所ではありません。普段の生活での不安や人間関係の悩み、家族の心配や人生の迷いまで、どんな内容でも話せる場です。心の中にあるものを話すことで、気持ちが少し軽くなることがあります。話せる場所があるというだけで、生活の質は変わります。
安心おしゃべり会は形式的なものではなく、話したい時に話すことができ、聞いてほしい時に聞いてもらえる場です。これを続けている理由は一つです。心のつながりを日常から守るためです。孤独死の現場を見ているからこそ、人が一人で迷い続けてしまうことの重さを知っています。
この会は、葬儀の依頼につながることを目的にしているわけではありません。しかし、結果としてここで話した人が葬儀の時に私を選んでくださることがあります。それは営業の効果ではなく、安心したいという気持ちが自然につながった結果です。人は安心できる相手に大切な事柄を任せたいと感じるものです。
安心おしゃべり会は、地域の中で心の置き場をつくる活動でもあります。葬儀という非日常と、日常の不安の間にある大きな隙間を埋めるための取り組みです。話せる場所があることで、孤独の位置にとどまらず、少しずつ心が動き始めることがあります。怒 哀 楽 喜の工程は、日常でも働くものです。
樺澤忠志として、この活動はこれからも続けていきたいと思っています。心の置き場がある地域は、孤独が少し減り、家族を大切にする空気が生まれます。葬儀の仕事と日常の心の支えは切り離せるものではなく、どちらも同じ人の命の時間を支える仕事だと考えています。
第5章(その2) 日常の不安に気づき、気持ちが動く場所としての安心おしゃべり会
人が本音を話せる時、心は少しずつ楽になっていく
葬儀の現場で遺族の心に寄り添うことが多い私ですが、実際には葬儀とは関係のない日常の不安を抱えている人のほうが多くいます。家庭のこと、人間関係のこと、将来のこと。こうした悩みは普段の生活の中で蓄積し、気づかないうちに心を圧迫してしまいます。安心おしゃべり会は、その不安が少しだけほどける場所として続けている取り組みです。
これまでの会では、家庭の悩みを話してくれた人が何人もいます。中でも印象深いのは、旦那との距離感で苦しんでいた方の話です。体調の不調が重なり、旦那に当たり散らしてしまう。その度に自己嫌悪が生まれ、苦しくなる。そんな負の循環の中にいました。しかし話し始めると、怒りの裏側にある本当の気持ちが少しずつ出てきました。家族としてどうありたいのか、どう生きたいのか、本音を話しながら自分を取り戻していく姿がありました。
私は安心おしゃべり会で、ただうなずくだけではありません。寄り添いながらも、相手がどう生きたいのか、どうしたいのかを自分の言葉で話せるように聞いていきます。感情を押し付けず、無理に方向づけず、その人の中にある答えを引き出すように向き合います。怒や哀の位置にある心が、話すことで楽や喜へとゆっくり移っていく瞬間もあります。
人は誰かに話せた時に初めて、心が少し軽くなることがあります。涙が出ることで次に進める人もいれば、言葉にできなかった不安を出すことで前に進める人もいます。安心おしゃべり会は、その小さな変化を支える場です。大きな問題を一度で解決する場所ではなく、心が固まりすぎないように、息ができる場所として続けています。
この会を続けている理由は一つです。人が安心して暮らせるようにするためです。日常の安心と、葬儀の安心はつながっています。どちらも人の心の工程に関わるものです。孤独死の現場を見てきたからこそ、日常で心が孤立してしまう前に、話せる場所があることの意味を感じています。
安心おしゃべり会は、地域の中で心を保つための小さな灯のようなものです。話し終わった後に少し表情が柔らかくなり、次に進む力が生まれる姿を見るたびに、この取り組みの必要性を感じています。
第6章 葬儀を支えるということは、家族の人生を支えるということ
合同会社とーたる さぽーと 0528が続けてきた姿勢と喜怒哀楽の家族葬の意味
葬儀の仕事は、儀式の手配だけをする仕事ではありません。家族の人生の一部を預かる仕事です。怒や哀が動く時間に寄り添い、楽や喜へ向かう工程を支え、その人の最期の姿を整える。それは家族の心を支え、その後の人生にも影響を与える大切な役割だと感じています。
私は合同会社とーたる さぽーと 0528として、弘前家族葬と喜怒哀楽の家族葬を続けてきました。喜怒哀楽の家族葬という名前には、家族の感情を押さえつけず、そのまま大切にしたいという思いが込められています。葬儀は悲しみだけではありません。怒りがあっても良いし、笑いがあっても良い。思い出を語る時間も、涙が止まらない時間も、そのどれもがその家族にとって必要な工程です。
葬儀社として私は、家族の声を聞く姿勢を大切にしています。葬儀プランに流されるように決められてしまい、後悔が残る方も多くいます。私はそのような葬儀を減らしたいと考えています。最初の面談から気持ちを聞き、どう送りたいのかを一緒に確認し、最後のわがままを聞ける葬儀社でありたいと思っています。
復元納棺の技術も、孤独死の現場への向き合いも、安心おしゃべり会も、すべては一つの思いにつながっています。人が安心して暮らし、安心して最後を迎えられる地域をつくるということです。葬儀の現場だけでは心の問題は解決しません。生きている間に不安を話せる場所があり、亡くなった後にその人らしさを守る技術があり、家族が気持ちを整えられる工程がある。これがそろった時に、葬儀の本当の価値が生まれると感じています。
私は弘前市で葬儀を続けていく中で、地域に必要なものが少しずつ見えてきました。家族の思いを受け止める葬儀、孤独死に向き合う現場の技術、心の置き場所としての安心おしゃべり会。これらは別々の活動ではなく、同じ流れの中にあります。生と死の間にある揺れを支えるのが、私の役割だと感じています。
これからも合同会社とーたる さぽーと 0528として、家族の気持ちを中心に置き、その人らしさを大切にする葬儀を続けていきたいと思っています。葬儀は人生の最後に行う行事ではなく、人生をまとめる大切な時間です。その時間を誠実に支えるために、私は現場に立ち続けたいと思います。
第7章 喜怒哀楽の家族葬に込めた意味と、争いを静めるための役割
登録商標としての意味と、葬儀を穏やかに整える第二の癒し工程
喜怒哀楽の家族葬に付いている記号は飾りではありません。これは正式な登録商標であり、当社が大切にしてきた葬儀の在り方そのものを示しています。家族の喜びや怒りや哀しみや楽しさを押し付けず、そのまま大切にして送りたいという思いから生まれた名前です。
当社の葬儀には、第1段階として納棺の癒し工程がありますが、葬儀当日にも第2段階の癒しの工程が進みます。怒や哀が残ったまま進んでも心は整いません。葬儀は時間だけで進むものではなく、家族の感情の位置によって変わるため、その状態に合わせて工程を整える必要があります。
家族間にトラブルがある場合は特に慎重に段取りを組みます。当社が行っている家族間トラブルサポートは、トラブルを解決するためのものではありません。葬儀中の不安定な空気を穏やかにし、儀式が乱されないようにするための補助です。これを入れておかなければ、どれだけ良い葬儀であっても、関係の緊張が一瞬で雰囲気を反転させてしまいます。まるでオセロの表と裏が入れ替わるように、良かった葬儀の記憶が黒に変わってしまうこともあります。
だからこそ、当社では葬儀の進行を穏やかに保つためのサポートを入れています。解決ではなく、補助です。家族の心が大きく揺れないようにし、少しでも安心した状態で見送りができるように支えています。こうしたサポートがあることで、良い葬儀は良いまま終えることができます。
葬儀は供養であり、供養とはその人を見送る行為です。見送りの時間が争いによって乱されると、大切な別れの瞬間は一瞬で失われてしまいます。後に残るのは深い後悔だけになってしまうこともあります。家族が穏やかに見送れる状態を整えることは、葬儀の本質を守るために欠かせない工程です。
喜怒哀楽の家族葬は、その心の流れを大切にするために生まれた葬儀です。感情が落ち着き、心が動き、安心して見送れる状態を整えるために、当社は常に家族の気持ちを中心に置いています。
第8章 喜怒哀楽の家族葬は、形ではなく心と魂を整える時間
儀式を変えるのではなく、遺族と故人の本質に寄り添う
喜怒哀楽の家族葬は、派手な演出や大きな祭壇を求めるものではありません。お寺の儀式に手を加えるものでもなく、儀式そのものを変えるものでもありません。僧侶の読経や供養の形式はそのままに、当社が大切にしているのは、遺族の心を整え、故人の魂が静まっていく工程を支えることです。
依頼を受けた時から葬儀が終わるまでの間、遺族の心は大きく揺れています。怒や哀が混じり、後悔や戸惑いが重なり、静けさが訪れるまでには時間が必要です。喜怒哀楽の家族葬は、この心の流れをそのまま受け止め、遺族の精神を守るための工程です。
葬儀の価値は、祭壇の大きさでも費用の高さでもありません。どれほど目に見えるものを整えても、心が伴っていなければ供養にはなりません。供養の本質は形の美しさではなく、魂が浄まることです。浄まるとは、残された家族の意思と、見送られた故人の魂が重なる時間がつくられるということです。
小さな葬儀であっても、家族の思いと故人の魂が重なる瞬間があれば、それは良い葬儀です。逆に、どれだけ立派に見えても、心と魂が離れたままでは何一つ供養になりません。形だけを整えても、費用だけが大きくなるだけで、肝心の浄化にはつながりません。
最後の時間の中で、遺族から自然に「良かったね」という言葉が出ることがあります。この短い言葉こそ、重なりが生まれた証です。心と魂が動いた時にだけ出てくる言葉であり、そこに供養の本質が宿っています。
霊的な話を大きく語るつもりはありませんが、葬儀に携わっていると、この重なりを感じる瞬間があります。遺族の心が落ち着き、故人の魂が静まり、一つの区切りが自然に訪れる時です。喜怒哀楽の家族葬は、その時間をつくるための葬儀です。
葬儀とは祭壇の大きさを競うものではなく、心と魂が静かに重なる時間です。当社が大切にしているのは、その本質を見失わないことです。
第9章 死を学ぶことで、生き方が静かに整っていく
喜怒哀楽の家族葬が伝えたい三つの生きる姿勢
葬儀の仕事を続けていると、生きている人の人生も見えてきます。死を遠ざけて生きるのではなく、死を知ることで日常の姿勢が変わる方が多くいます。死と向き合う時間は、生き方を整えるための時間でもあります。
私は喜怒哀楽の家族葬を行う中で、生きるうえで大切な三つの姿勢があると感じるようになりました。
一つめは、今の気持ちを大切にすることです。怒や哀があることは悪いことではありません。どんな感情も、人生の一部です。無理に抑えすぎると、気持ちはどこにも行けなくなります。感情の流れを自然に動かし、心を固めないことが、生きるうえでも大切です。
二つめは、人とのつながりを忘れないことです。孤独死の現場を見てきたからこそ、人が誰かとつながっていることの価値を深く感じます。家族でも友人でも、ほんの短い言葉でも、人は誰かと少しでも触れ合うことで心が動きます。つながりが一つでもあるだけで、生き方は変わります。
三つめは、最後の時間をどう迎えたいかを考えることです。これは重い話ではなく、生き方を選ぶための静かな問いです。自分がどんな言葉を残したいのか、誰と過ごしたいのか、どう生きていきたいのか。これを考えることは、死の準備ではなく、生きる準備です。死を恐れるのではなく、生を整えるための視点です。
喜怒哀楽の家族葬は、葬儀の技術や儀式を整えるだけではありません。生きている人の人生にもそっと寄り添い、心の基準をつくる時間にもなります。葬儀という節目に触れることで、人は自分の生き方を静かに見つめ直すことができます。
葬儀は死を扱う仕事ですが、本当は生を支える仕事でもあります。生と死を別々に考えるのではなく、つながった流れとして見つめる姿勢が大切です。死を知ると、生が大切になる。生が整うと、死を恐れすぎなくなる。この循環が、人の心を穏やかにします。
喜怒哀楽の家族葬は、その循環を自然につくるための工程です。亡くなった人を見送りながら、残された人が静かに生き方を整える時間を支えていきたいと思っています。
第10章 誰かの人生を見送りながら、自分の人生を整えていく
喜怒哀楽の家族葬がめざす未来と、地域に残していきたいもの
喜怒哀楽の家族葬が大切にしているものは、派手な演出でも、大きな祭壇でもありません。遺族の心が整い、故人の魂が静まっていく時間です。葬儀は形式をこなす場ではなく、人の心がひとつの節目を迎える場です。その本質を見失わないために、私は弘前市で葬儀に向き合ってきました。
復元納棺の技術も、孤独死の現場に入ることも、安心おしゃべり会も、家族間トラブルサポートも、すべては一つにつながっています。人が安心して暮らし、安心して最後を迎えられる地域をつくるという思いから生まれたものです。生と死を別にせず、どちらも同じ一つの流れとして支える。それが私の仕事です。
葬儀は亡くなった人のためだけではありません。残された家族が次へ進むための時間でもあります。後悔を抱えたまま進めば心は固まり、怒や哀に留まってしまいます。気持ちを受け止め、重なりをつくることで、心は静かに動き始めます。葬儀の本当の価値は、その小さな変化の中にあります。
これからも合同会社とーたる さぽーと 0528として、目に見えるものより心の流れを大切にし、魂が浄まる葬儀を続けていきたいと思います。どれだけ時代が変わっても、人の心は喜怒哀楽から離れることはありません。この自然な流れをそのまま大切にする葬儀こそ、地域に必要なものだと感じています。
見送る人の心が少し軽くなり、見送られた人が静かに旅立てる。その時間をつくるために、私はこれからも現場に立ち続けていきます。
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