平川市のおおばさんと私:納棺師への道のはじまり【船水家のおおばさん】

予期しない電話から始まった旅
2011年、私が兵庫県から帰郷してまだ2年も経っていない頃、予期しない電話が家に鳴った。
平川市に住んでいた御叔母さんが亡くなったと母から告げられ、そして母が一つの要望を口にした。
「私たち家族で納棺を行いたい」と。
そのとき私たちの家族は船水家という名の農協に所属し、日々をJA葬祭とともに過ごしていました。
私の職は農協職員で、親戚である叔母さんの葬儀を通じて、初めて真剣に納棺の儀に触れることになりました。
違和感から始まった新たな認識へ
その時の私の心情はと言うと、親戚であるはずの場所に、ほぼ見知らぬ人々がいるように感じ、異国にいるかのような違和感に包まれていました。
私の子どもの頃の記憶とは異なり、遠い親戚たちと過ごすことになったその葬儀は、私にとって異質な経験でした。
儀式が一つずつ進行し、私たちはついに会食の時間に至りました。
しかし、その場にいながらも、まるで親戚であるはずの人々とは別世界のように感じられ、体の疲労以上に心が疲れていったことを覚えています。
納棺師への道を歩み始めた理由
この経験を通して、私は葬儀の本質について深く考えるようになりました。
葬儀とは何か、納棺とは何か、そして私たちが送り出す者として何が求められるのか。そしてこの経験が、私が納棺師へと進むきっかけとなったのです。
成長と新たな認識
その葬儀から時は流れ、私はその後納棺師として多くの家族と向き合うことになりました。
毎回の葬儀で繰り返される、悲しみと別れ、そして新たな始まりを目の当たりにして、私自身も成長していきました。
その過程で理解したのは、葬儀の本質が供養だけではなく、見送る者たちの真心であるということです。
真心を込めておくること、それこそが本当の供養であり、そして葬儀の真髄なのです。この信念は、私が納棺師として日々の業務に取り組む原動力となっています。
死と新たな始まり
また、この経験が教えてくれたもう一つの教訓は、死は決して終わりではなく、新たな始まりでもあるということです。
それは供養という形で、故人と生者が新たな形で結ばれ、故人の死が生者に与える影響や変化をもたらすものだと気付きました。
私たちが葬儀を通じて供養を行うことで、亡くなった者への思いを形にし、また新たな人生の道を切り開く一助となります。
それは供養という形で故人と生者が繋がる、新たな関係の始まりでもあります。
納棺師としての信念
そして、その全ての中心には「真心で送り出すこと」があります。
その信念こそが私が納棺師としてこれからも歩んでいく道しるべとなるのです。
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